テイセン版ちょっとためになる話

ホース100年ものがたり

2、国産消防ホースの開発と生産量・売上高の推移

イ、国産消防ホースの開発

さて次に、国産第一号消防ホース開発に携わった関係者の懐旧談を掲げます。内容は現在にも通じることで営業、技術を問わず弊社の社員には心して読むよう云っています。
「明治37年頃会社の試製ホースを以て海軍に向ひ国産品の採用方を嘆願した所、当局でも賛意を表し最初横須賀軍港へ納入を命ぜられたので特に注意して製織の上海軍納入検査を受けた所、圧力計の指数は漸く規格の40封度に達したが漏水の為め指針は直に零度に降下して水圧に堪へず検査官もせめて20封度でも耐ゆるならば採用するがとの事であったが結局不合格だった。余りにも残念だったから種々工夫を重ね漏水原因は織込の不充分であるから織目を塞ぐ為杼(ヒ:横糸打ち具)の前方にアラビアゴム液を袋に入れ杼の働きと共に此の液を織目に塗抹すれば漏水を防ぐ得べしと考え早速実行したが不結果であった。今から考へると幼稚千萬な話ですが其当時としては相当苦心したものです。何しろ麻の良質でさえあれば織込を充分すれば漏水は止るものと考え肝心の原料が亜麻でなければならない事を忘れていたのでした。其後研究の積むにつれ亜麻を用ひて製織し何なく40封度の水圧に耐へ得るものが出来海軍でも漸く検査合格して納入が可能となり今少し高圧に耐へ得るものが出来ぬかと当局の意見もあり遂に80封度の水圧に耐へるものが出来上り海軍の規格を70封度と変更して頂いてそれから引続いて用命を蒙りました。」
封度とはポンドの意で水圧ではポンド平方インチのこと。0.07を掛ければキログラム平方センチになり、40封度とは約3キロの水圧。
小手先の改善に陥っていては技術の本筋を見失ってしまうこと、また製品への愛着があってはじめて営業があることなど、先人の貴重な教訓であります。

ロ、生産量・売上高の推移

昭和初期の平織機

写真9 昭和初期の平織機

黒川を挟んだ鹿沼工場

写真5 黒川を挟んだ鹿沼工場

麻ホースを見かけることもなくなり、手にとってご覧になった方も少ないと思いますので、麻ホースの特長を整理しておきます。 麻は吸水性が高く、麻の繊維が水分を吸収して膨潤してしかも強力が増し、織物の目を固く詰めて高水圧に耐えてホースからの漏水を止めます。現在のテトロン繊維で製織したホースのように樹脂チューブを内張りすることはありません。昭和20年代末にゴム引きホースが現れるまでの50年間は麻ホースが消防ホースの代名詞でした。 さてこのような消防ホースを製織する織機には平織機とサーキュラー織機の2種類がありますが昭和30年前後サーキュラー織機による本格生産が始まるまでは平織機が主流でした。

当時の鹿沼工場(写真5)は麻紡績工場で消防ホースを製織するための糸を生産しており、生産された麻糸はホースやキャンバス用原糸として、前述の大阪工場や各地の製織工場に送られていました。写真の右手の山が水神山でそのふもとに水路跡らしいものが見えます。

以下は昭和13年頃、弊社のホース販売を担当していた大阪支店長の手記で当時のホース営業マンの気持ちとホースを取り囲む情勢をよく表しています。

「今でこそ我国の消防ホースは全部純国産品で輸入ホースは一本もなく却って支那、印度、南洋、南米方面にも輸出し200余台の大織機の運転する様は物凄くもまた頼母しく製麻工場の一大壮観であるが、明治35、6年頃まではすべて輸入品であった。大阪工場でホース機一台を試織した当時は水圧20封度にも足らぬ幼稚さであった。爾来30年水圧は500封度を超へ機は200余台に増台せられ帝麻ホースの影は全国津々浦々の消防設備に見ざる所なき迄に至った。帝麻ホースの今日の盤石の基礎を築いたのは大阪工場の歴代当局者の不断の研究改良であった。大正十年頃に完成せられた特許丸耳筋入りホースは之を如実に物語るもので従来漏水と破断抗力とは互いに相反するものとしてその一を以て満足せねばならなかったものを原糸の精錬と織物の組織に特別の研究を重ね破断し易き耳部を平面部(腹部)と同組織にまで加工し得たと同時に全長筋入として其品質を保証し品種の選別を容易ならしめた事は販売上に裨益(ヒエキ)する所多く画期的の成功と言ってよかろう。併し過去においてホースの需要は時に激増、萎縮屡々(タビタビ)極端なる変動に見舞はれ製造にも販売にも甚だしく困難を来したものだ。此間海軍当局警視庁を初め全国消防組みのご援助ご鞭撻は感謝に堪へないところである。消防ホースの原料が唯一無二の国産亜麻原料たるに鑑み愈々防火報国の為めに品質の弥(イヤ)が上なる向上に邁進せねばなるまいと思ふ」

初めて海軍に納入されたホースは40封度の耐圧を持っていたことは前に触れましたが、30年の間に500封度(35キロ圧、3.5Mpa)まで耐圧が改善したことは見事で、現在の1.6Mpaの高圧用ホースとしての試験圧に十分対応できます。少し技術的な話になりますが写真のような平織機でホースを生産すると折り返しの耳部の経糸の目が粗くなります。そのような欠点を無くすためにはホースを筒状に織ることが出来るサーキュラー織機の登場を待たねばなりませんが、平織機で工夫を重ねて腹部と同じ経糸密度で耳部も織ることが出来たと言っています。筋入りでブランドを明確にし品質保証の証とし、品種の選別を容易にしたとしています。現在の検定ではホースに筋糸(色糸)を織り込むことは規格化されています。また需要の増大はともかく減少は営業マンとして今と同じように辛かったようですが、「輸入品を駆逐し、自給の出来る唯一無二の麻でホースをつくる」という当時のテイセンマンの意気込みが見えて大変心強いと思います。

下表は明治から昭和11年に至るホースの生産量と販売高を示します。
明治36年国産第1号の消防ホースが生産されてから大正末期までは順調に増え生産量は年間100万メーターを越え、その後第一次世界大戦や恐慌で生産は大きく上下し数値は掲載していませんが昭和18、9年で約200万メーターに達します。その後昭和30年代前半で一部を除いて麻ホース生産は終わり、僅かにビニロンの時代はありましたが、現在のテトロンホースに移行して行きます。ちなみに平成13年度の全メーカーの生産合計は750万メーターとなっています。

消防ホースの生産量と販売高

消防ホースの生産量と販売高

またホース織機も明治35年に1台、翌36年に新たに6台を輸入し、順次本格的生産の体制を整えます。

  明治40年 明治41年 明治43年 大正元年 昭和11年
ホース織機の設備台数 19 33 43 59 171