テイセン版ちょっとためになる話

ホース100年ものがたり

はじめに

昭和初期の大阪工場

写真1 昭和初期の大阪工場
(所在地:大阪府西成郡伝法村 現大阪市此花区伝法町)

わが国の消防ホースの歴史は、明治36年(1903年)弊社の前身である日本製麻大阪工場(写真1)で導入した英国ロバートホール社製消防ホース織機を使って生産した麻ホースから始まります。そして、平成14年、日本の消防ホースは生誕100周年を迎えました。

そこで100年の歴史の中で知られることの少ない麻ホースの歴史とそれに纏わる興味深い逸話をまとめてみました。

1、消防ホースの生産は水力発電から

亜麻の収穫

写真2 亜麻の収穫

英国で始まった産業革命は19世紀始めいよいよ本格化し、わが国でも明治維新以後国家の強力な指導で殖産振興が謳われました。麻は国内供給が可能な唯一の繊維資材原料であることに着目し、北海道を中心に亜麻を栽培し(写真2)、全国各地に麻紡績・麻製織工場を建設、国の殖産振興政策に大いに応えたのは明治を代表する企業家のひとりで弊社の創業者でもある安田善次郎でありました。また渋沢栄一、大倉喜八郎などもこれに賛同し、ここに日本における近代繊維産業の黎明となります。

当時の殖産振興とは現代の情報ソフト企業を起こすようにアイデアだけの勝負というわけにはいきませんでした。近代工業化のシンボルといえる紡績機械や織機もスイッチを入れただけでは動き出すことはなく、まず機械の動力源である電力の調達から始めなければなりませんでした。
写真3は当時の弊社日光工場の水力発電用水路の様子を写した貴重なもので、同様の設備が現在の消防ホース生産工場である鹿沼工場にもありました。

日光工場

写真3 日光工場

写真4 タービン

写真4 タービン

鹿沼工場を見学に訪れられた方ならご存知の工場北側の日光杉並木道に沿って遥か今市あたりから水路は建設され、工場付近で方向を変え、裏山の水神山から落水、今は最新消防ホース・救助資機材の展示館となっている「テイセン防災館」あたりに米国製タービン(写真4)2機を備えた水車(発電所のことを当時はこう呼んでいた)があり、この水車で発電された電力は中善寺湖を源とする黒川の両岸に広がる鹿沼の東西両工場に給電されていました。

当時の鹿沼工場(写真5)は麻紡績工場で消防ホースを製織するための糸を生産しており、生産された麻糸はホースやキャンバス用原糸として、前述の大阪工場や各地の製織工場に送られていました。写真の右手の山が水神山でそのふもとに水路跡らしいものが見えます。

黒川を挟んだ鹿沼工場

写真5 黒川を挟んだ鹿沼工場

ここで消防ホースを製造するための材料である亜麻糸の生産工程について触れておきます。亜麻糸は亜麻の茎から採取され、強度が高く伸度に少ない靭皮(ジンピ)繊維に分類されます。収穫された原草を仕訳(写真6)→櫛梳(セツリュウ)→延線→粗紡→精紡(写真7)の工程にかけ亜麻糸が紡績されます。今日の自動車産業などには遠く及びませんが、工業化途上の国にとって紡績業は大掛かりな装置産業であり、麻紡績もそれに違わず、亜麻原料は幾度も規模の大きい工程を経なければなりません。当時としてもそれらの設備のために大資本の投下が必要でその意味からも安田、渋沢、大倉などの企業家の決断が必要でした。

仕訳

写真6 仕訳

精紡

写真7 精紡

鹿沼工場内に移設された水神宮

写真8 鹿沼工場内に
移設された水神宮

話を水力発電に戻しますが、杉並木沿いに水路を掘り発電施設を建設し紡績機械を動かした水力自家発電設備は当時としてはめずらしく、電力供給の乏しい地域のため余剰分は電力会社(鹿沼水力電気㈱のちに東京電力に合併)に販売もしていました。なお弊社水力発電装置は自家発電施設としては内務卿大久保利通が導入した紡績機械を以って県令松平正直が設立を命じた宮城県三居沢の宮城紡績会社(1888年)に次ぐものでした。
前述の水神山の頂きにあり、今も鹿沼工場の守り神である水神宮(写真8)の奉祀(ホウシ:祈りをささげること)には「かくの如き霊地に工場を創設し遠く今市の辺りより水路を開鑿(カイサク)して水神山に水を引き落差を以って発電したる等は当時創設者の苦心の程も知られるが此の水路の開鑿は当工場最大難工事であり又之あるがため工場を運転するに至れるを思へば感謝の念も自ら湧き出ることも当然である」と書かれています。
一口に殖産振興と言ってしまえばそれまでですが、電力の供給から始めなければならなかった当時のことを思えば先人の苦労は計り知れません。

なお水神宮の縁起について少し触れておきますと、時代は遠く「堀川天皇(平安期嘉承年間)の御世奥羽の地再び乱れ八幡太郎義家兵を率いて彼地に向った時城山に鎮守府を置き祠を建てヽ守護神とし給ふた。これから此の地方を府所と呼び守護神の崇拝が深かった」と伝えられています。城山とは水神山のことで、今も鹿沼工場あたりは府所(フドコロ)と呼ばれています。また水神宮は「火防神(ヒブセノカミ)として一般の崇拝する所ともなり桜花爛漫の候盛大な鎮守祭を行ひ従業員の春の慰安会とも兼ね一般の入場参拝をも許すを例としたので参拝者頗る多く雑踏を極め毎年の行事として鹿沼及びその附近の人から待たれつつある」と古い資料にあります。殖産振興の期待を担った鹿沼工場が創業し、満開の桜の下で地域の人々の集う賑わいが目に浮かぶようであり、またヒブセノカミが見守る鹿沼工場で今キンパイホースが造られているのは因縁としかいえません。