テイセン版ちょっとためになる話

ホース100年ものがたり

3、金牌ホースポスターと赤レンガ

百年続くキンパイホースブランドマーク

写真11
百年続く
キンパイホース
ブランドマーク

日本初の消防ホースポスター

写真10 日本初の消防ホースポスター

さて最後にキンパイホースと弊社の旧本社ビルについてお話します。それまで工業製品にはなかったブランドという意識も芽生えてきます。
弊社の麻ホースは明治42年頃まで、高級品から順に特別上ホース、特等ホース、並ホースと称していましたが、外国製品に対して国産ブランドという意識も生まれます。明治43年から特別上ホースを金牌、特等を錨、並を地球と称し、ブランドを表に出して営業を開始し、また同時に商標登録も行っています。ご存知のとおり今は特別上のキンパイホースしか販売しておりません!

この絵は大正後期の消防ホースのポスター(写真10)で、当時としては大変めずらしい商業用ポスターです。耐圧耐久筋入り布ホースとのキャッチフレーズが読め、防毒マスクの消防士がホースを抱える姿が臨場感あふれます。社名の上に東京日本橋際と横に社長安田善助の文字が読み取れます。また3段に積まれたホースは上から地球印、錨印、金牌印で並、特等、特別上の順に積まれています。特別上の金牌印は今も全く変わらず100年間同じブランドマーク(写真11)を使っています。

日本橋から望む旧帝麻ビル

写真12 日本橋から望む旧帝麻ビル

次に赤レンガのことに触れておきます。赤レンガとは帝国製麻本社ビルのことで当時の東京市民は親しみをこめてそう呼んでいました。社名が現在の帝国繊維に変わってからも本社として使用していました。残念ながら昭和62年取りこわされましたがご記憶の方も多いでしょう。赤レンガは大正元年(1912年)竣工で、設計者は日本銀行本店(1896年)や後に東京駅(1914年)を設計する辰野金吾でした。東京都中央区の資料によると旧帝麻ビルは「日本橋北側橋のたもと川に面して建てられた赤煉瓦の細長い建物で、川側の2、3階にバルコニーを設け、橋寄り屋上部分には小さなドームを配してアクセントをつけていました。辰野は日本橋界隈をベニスに想定したといいますから、バルコニーを設けたのも当然といえましょう。現在の日本橋が完成したのが帝国製麻ビル完成の前年にあたります。そうして見ますと、帝国製麻ビルと日本橋はよく調和しているように思えます。大正・昭和の時代の東京名所写真帖や絵はがきには必ずといってよいほど、日本橋を前景にした帝国製麻ビルの写真が収録されています。」その写真帖や絵はがきに掲載されたのがこの写真(写真12)だと思われます。

おわりに

現在の帝国繊維の防災事業は、

ホース部門では
消防用ホースに加え、大規模災害用大量送水用大口径ホース、消防団操法大会用ホース、消火栓用ホースなどを製造・販売しています。

機材・車両部門では
世界の最新救助資機材の導入とそれらを積載する救助用特殊車両の製造、空港用大型化学消防車の輸入を手がけています。

被服部門では
米国デュポンの素材を中心に防火服、消防団用活動服、救助服などの製造を行っています。

また最近では
世界的規模で多発する大規模自然災害、国際的なテロ・ゲリラの頻発など社会的なリスクが広がる中で、救助・探査用装備品、NBC・ハズマット装備品のほか、防災に係る情報通信システムなど新たな防災分野にも事業を広げつつあります。
そしてこうした時代の変遷の中で常に変わらず、また消防ホース100年の歴史の逸話のなかでも脈々と流れているのは、国や社会に貢献しようとする弊社の創業以来の精神です。
弊社の基本理念「社会の安全、生活文化の向上に貢献する企業」は、創業者から現在の社員の一人一人に至るまで変わることなく受け継がれ、社員一同仕事を通じて「社会や公共に貢献」できることを誇りとして、業務に取り組んでいます。

以上